9/20/2017

生活習慣の改善

大動脈解離の予防は、生活習慣の改善であり、高血圧を予防・改善することである。沈黙の殺し屋である高血圧を改善するためには下記の七つを心掛けることである。

1.塩分制限・・・・一日6g以内(WHO目標値)日本人は平均10g
2.肥満の是正・・・1Kg減量で血圧1mmHg減少、腹七分目、夜食間食禁止
3.野菜生活・・・・余分な塩分を排出するカリウムを摂取(海藻類・バナナ)
4.適度の運動・・・一日8000歩を目標。歩く・ヨガ・気功など有酸素運動
5.ストレス回避・・好きなこと、楽しいことをする。
6.節酒・・・・・・ビール中ビン1本、日本酒1合、ウィスキー1杯
7.禁煙・・・・・・(1日60本⇒入院後完全禁煙)
    担当医の話では、救急治療時の血圧は200以上あった。体重は80kgだったそうだ。退院時70.3㎏だったから、3週間で約10㎏痩せた。これだけで血圧▼10mmHgの効果があるという。

    6/09/2017

    石原 裕次郎

    石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年12月28日 - 1987年7月17日)は、日本の俳優・歌手、石原軍団初代総帥、石原プロモーション創始者(元代表取締役社長兼会長)。永遠の大スター日本人(中)が最も愛した男)と称されることがある。

    「青春」~サムエル・ウルマンの詩


    青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

    6/02/2017

    肥満と高血圧

    高血圧対策のひとつに肥満解消がある。どうして肥満が高血圧の原因になるのか?肥満はそれだけで血圧を上げる要因になる?・・・それが分からず情報を集めた。

    高血圧とタバコ

    タバコを吸わなくなって4ヶ月経った。吸いたいと思う瞬間がたまにある。山道を歩き、見晴らしのいいところで一服したときなどである。お茶やタバコを呑んで一休みすることを「一服する」という。一服するかと思って立ち止まったり、腰をかけたりすると、そんなときにタバコに火をつけた過去の記憶が蘇って、タバコを吸いたくなるのである。しかし、そんな欲求はすぐに打ち消せるようになった。

    4/24/2017

    沈黙の殺し屋

    生活習慣病には、高血圧、脂質異常症、糖尿病などがある。これらは自覚症状がほとんどないため、気づかないうちに進行し、脳や心臓、血管などにダメージを与えていく。その結果、ある日突然、狭心症や心筋梗塞、脳卒中など命に関わる恐ろしい疾患を引き起こすことがある。そのため、生活習慣病は“沈黙の殺し屋”と呼ばれている。〔”生活習慣病”オンラインから転載〕

    4/23/2017

    高脂血症

    中性脂肪が多い、コレステロール値が高い…と騒がれるのが「高脂血症」だ。何を食べるとそうなるのかが分からない。そもそもコレステロールってなんだ?

    卵やイカ、エビを食べようとすると「それはコレステロールが多いから食べないほうがいい」という忠告が飛んでくる。「へぇーそうなんだ」といって、その忠告を無視して食べるのがへそ曲がり者なのかもしれない。

    4/22/2017

    減塩生活

    急性大動脈解離という聞いたこともなかった病気になってしまった。対処が遅れれば二日で半数が死亡する。ICUから病棟に移されたときに意識はしっかりしており、もう退院できるのかと思ったら大間違いだった。

    入院一か月、自宅療法1年の病気だと告げられた。両手と首と鼻と陰部に合計10カ所近くが管でつながれていた。胸部には三カ所にセンサーが貼り付けられ、携帯型GPSにつながれている。心拍をリアルタイムで監視し、患者の動きと居場所を特定する。ベッドから起き上がろうとすると看護師が飛んでくるという仕掛けだ。

    4/21/2017

    動脈硬化

    大動脈解離を発症した原因はなにか?一つの原因は、動脈硬化が進行し、血管が脆くなっていたからだといえる。動脈硬化とは、血管の弾力が失われて硬くなったり、血管壁にコレストロールなどが溜まり、血管内部が狭くなってしまった状態をいう。

    4/18/2017

    急性大動脈解離

    Acute Aortic Dissection
    2017/01/22 午後4時20分、何の前触れもなく突然背中に激痛が走った。まるで鶴嘴で殴られたような痛みが続き、収まる気配がなかった。息苦しく痛みに負けて気を失うかもしれない。その先に待っているのは死しかないと思った。

    はじめて救急車を呼んでもらった。運ばれたのは胸部外科のある共済病院だった。幸運だったのは、日曜日の救急医療に胸部心臓外科部長が詰めていたことだった。すぐに診断が始まり、適切な緊急処置がとられた。これが生死を分けたのだと後で聞かされた。